廃止が検討される赤字ローカル線 必要性の真偽とは?

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キハ41交通

例年「鉄道の日」として知られる10月14日、日本の鉄道は開業から150周年を迎えたことが多く報道された。驚くべき定時性や安全性などで日本が世界に誇る交通機関として発展し、今では多くのファンを熱中させる文化ともいえるまでになっている。とはいえ今後も国民の足として存続していくためには数多くの課題が多いのも事実。その1つは、赤字ローカル線を存続させるか廃止するかの議論である。

今では必要とされなくなった路線

JR西日本が4月に公表した赤字ローカル線に関する資料は衝撃的なものだった。これについてニュースでは沿線住民の街頭インタビューや各地方自治体の見解を添えて報道。よく見てみると「あくまで鉄道は自分たちの地域に必要である」「利益が出ていないからと廃止にしていいものではない」など、廃止反対に寄った意見が目立つのに気づく。

とはいえ、地域の需要に見合わない列車の運行はたしかに無意味だ。鉄道は地域のシンボルではなく、あくまで生活の足である。

たとえば筆者は赤字が特に深刻な山陰本線・城崎温泉~鳥取の区間を昨年利用したのだが、この区間全体を通して利用客は1人(自身のみ)あるいは2人か3人程度だった。もちろん時間帯によって変動する数字ではあるが、少なくとも40トン程度の列車を1両もしくは2両で運ぶ人数ではない。「鉄道は必要」と言う沿線住民はいったいどこに乗っているのか、問わざるを得ない。

公的支援が必要か

赤字ローカル線に関し、ネットではさまざまな意見が渦巻く。たとえば「鉄道の維持は村落の維持にかかわる問題」「公共交通機関としてインフラの一部なのだから、地方自治体からの公的支援があるのは当然」というもの。地域が鉄道を必要とするのであれば、住民が運営のため多少負担するのは道理にかなっている。もっとも、一番いい方法は客として利用することなのだが。

別の角度からの冷静な見解も見られる。「大都会とは異なり、これは少子高齢化・過疎化などを含めて考えるべき問題だ」「鉄道路線個別で議論する話ではない」というもの。たしかに地域に密着しながら発展してきた鉄道は、各地特有の事情と照らし合わせて考えなければならない。

地域住民の意識が不可欠

免許返納で足を失った高齢者が利用する必要があるから、通勤通学需要があるから、など線区によって事情はさまざまだ。いずれにせよこのテーマの結論は、筆者のような鉄道好きが外野から口をはさむことではない。あくまで沿線住民自身が鉄道のある未来とない未来を想像し、もし必要と考えるのであれば積極的に利用しなければならない。需要のないところに過剰なサービスは必要ないのだ。

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