【コロナ】ボリビア・ヤパカニでの1年間を振り返って-パート2

文化
こんにちは!こんばんは!おはようございます! 先日の記事では、ボリビア国内での引っ越しからほどなくしてコロナ禍へと突入したこと、 またその中で起こった変化についてまとめました。 今回はその続きとして、その後の経緯や人々の動向などまとめてみたいと思います。 必然的にこれまでの政治的な動きやボリビアの人々の国民性に触れる内容となりますが、このブログは特定の政治団体や民族を上げることも下げることも一切意図していませんので、ご了承ください。 それでは今回もどうぞお付き合いください。

町から人と車が消えた

ロックダウンの実施された他の多くの国々と同様に、ボリビアでも感染の拡大によりクアレンテナ(外出禁止)措置がとられました。

スパッと遮断

僕はボリビアにいながら日本や他国のニュースをYouTube経由によく見ていたのですが、 他国と比較してもボリビアで実施されたロックダウンは判断が早く、また徹底されていた印象を受けます。 大きな要因としては、コロナの本格的な流行自体が遅く、しばらく他国の動向を見る余裕があったことが考えられます。 その内容と特徴を大まかにまとめるとこうです。
  • 特定の曜日や時間帯を除く外出禁止(地域によってはより厳しい終日禁止)
  • 個人的な自動車の運転は原則禁止(許可を求めることができると含めてあった気がする)
  • 人が集まって行うあらゆる集会やイベントを禁止
  • 平常の国際便をすべて停止(出入国の制限)
  • すべての学校は2020年内の授業を停止
  • テレビやインターネットなど情報インフラを遮断することは、料金支払いの有無を問わず禁止
  • 特定の場所もしくは抜き打ちで身分証明書の確認があり、違反者には8時間の拘束が科せられる
日本では自粛が呼びかけられていたように、そこまで強制力のある措置をとっていなかったと思われます。 一方ボリビアの場合、違反者は容赦なく罰則が科せられる法的拘束力のある対応がとられました。 共産主義国としての特徴なのか、個人の事情を考慮するまでもなくスパッと決めるという感覚が見受けられました。 時折設定された近隣国間やアメリカ間でのチャーター便を除けば出入国も一切停止されたということで、 僕のような外国人にとっては帰国する手段の選択肢が著しく制限されることになり、より慎重さが求められる状況でした。

異常な静けさ

そのような比較的拘束力の強い外出制限措置がとられたために、ヤパカニでも町の様子は大きく変わりました。 ヤパカニはボリビアを東西に横断する国道4号線という主要道路が通る町。 普段昼夜を問わずあらゆる物資を運ぶ大型トラックや大型バスがひっきりなしに通っています。 僕の借りているアパートはその主要道路に面しているので、本来であれば常に車の排気音やクラクションが聞こえてきます。 ところが、午後にはピタッとその音が止む。嘘のように静かな時間が流れるようになりました。 買い物に人が動く朝でさえ、一日あたりの外出者は本来の5分の1に限られているため人々の密度が目に見えて違いました。

生活スタイルの変化

時間の使い方

慣れない外出制限も、何週間かすれば慣れるものです。 コロナ禍で時間ができたので、スペイン語その他の勉強、インターネットでの仕事などに余計に時間を充てることができるようになりました。 当時僕がしていた仕事はライティングクラウドワークスを経由して以前から契約していたサイトに投稿記事を納品するというものでした。 ちなみに今後お伝えしていくつもりですが、仕事はインターネット環境さえ整えれば普通にできます(整うレベルは別として)。 そしてそれまで行っていた活動はZoomによるテレワークに切り替わりました。

外食ができない

ただ一人暮らしをしている僕として個人的に厄介だったのが家事、とくに炊事。 料理は決して嫌いではなく、むしろ好きで趣味のようなものなんですが、時には面倒でやる気が起きないという状況もあります。 その上僕の借りているアパートは部屋冷蔵庫とコンロ水道のある台所がそれぞれ散らばっており、使い勝手が良い方ではない。 なんなら洗濯機を置くスペースは元々なく洗い場も階を上がらないといけない。 まあ贅沢は言えないんですけども、実際料理をするのはそれなりに余計な労力がかかる環境ではあるわけです。 ということでそんな時には外食にふらっと出かければいいわけですが、それはあくまでクアレンテナ以前の話。 クアレンテナが始まってしまったボリビアでは夜の外出が認められていないし、そもそもやっているレストランはないデリバリーサービスも一応ボリビアにはあるものの、田舎町ヤパカニではまだ普及していない。 そんなわけで、文字通り黙々とコンスタントに料理を作り続けるか飢えるかの二択、むしろ背水の陣ともいえる状態だったという感じだったのです。

そもそも仕事が…

ただ外国人として、またインターネットを通して多少の収入源を確保できている筆者はまだ良い方。 ボリビアでは街路でものを売ってその日暮らしをしている人が無視できないほどいるんですね。 日本では食べ物を出すには調理師免許がいるし、だいたいコンビニが普及しているからその辺の見ず知らずの人から何かを買うなんて発想がまずない。 でも、ボリビアは違います。 特に何の障壁もなく商売自体はできるし、何かをして最低限食いつなぐことはできる。 ただし、クアレンテナが大きな壁として立ちはだかった。 みんなが出歩かなくなった町で、どうやって食べ物を買うお金を得ることができるのか。 恐らく少なからぬ人たちが路頭に迷ったはずです。 実際本来生活に困らない人たちですら、経済的な不安を抱えることになったわけですから。 この点は日本のみならず世界的に共通する、コロナが経済に及ぼしている大きな影響といえますね。

フラストレーション

クアレンテナ期間中でも仕事をすることを認められている人はいました。 主にメルカド(Mercado: 市場)の売り手の人たちや、水や電気、インターネットなど生活インフラに関わる仕事をしている人たちです。 一方で、その他もろもろの商店飲食店は営業を認められていませんでした。 まあ当然といえば当然のこと。 さて、そのようにして仕事をできる人とできない人が実質分かれてしまったボリビア。 ここで僕はボリビアのお国柄を改めて思い知ることになります。

「コロナなんて無い!」

世界中どこの国でもある程度の割合で存在していたであろう、コロナウィルスの存在自体を疑うという発想。 ヤパカニでもその風潮はいくらかあったようで、だんだんと人々の間に意識の差緩みが浸透していきました。 正直、記憶ではおよそ2、3ヶ月もすれば定期的に更新される外出制限を真面目に遵守している人の割合はだいぶ減っていたのではないかと思います。 週に一日だけ正午まで外出できるはずが、いつでも午後まで買い物できる状況に。 コロナへの恐怖なんてどこへやら。 いやいや、とりあえず決まりは守ろうよ。というのはこの国では通じないんだなということはよく分かりました(笑)。

警察が…?

このような状況を許していた一つの要因は、警察があまり機能していないということ。 そもそも日本の警察に求めるようなことをボリビアの警察に期待してはいけません。 ラパスやサンタクルスなど、監視が行き届く都市部ではまだマシな方。 しかし、ボリビアの田舎町では警察がそもそも存在していないというケースも多々あります。 ヤパカニは一応存在するものの、現状を見る限りはやはり完全には国民を統制しきれていなかったようですね。

まとめ

というわけで、今回は外出制限中の生活スタイルと、ボリビアのお国柄の一端について触れてみました。 また近日続きを書いていきたいと思います。 それでは最後までご拝読ありがとうございました!次の記事もどうぞお楽しみに! アスタルエーゴー!

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