音楽は好きですか?
漠然とした質問ではありながらも、答えは大抵真っ二つに分かれるのではないでしょうか。
僕は音楽がめちゃくちゃ好きです。
これまでの人生の中でまったく音楽を無視していた時間を測ったとすれば、そう長くはないでしょう。
これほど飽きる予感のしない趣味について、自分のブログで語らないわけにはいかない。
今回は筆者なりの、その中でより多くの人に共感してもらえるであろう音楽の魅力について挙げていきたいと思います。
どうぞお付き合いください。
感情に働きかける
まず、音楽と私たちの感情はかなり強力な結び付きがあります。
言ってみれば当たり前ですよね。
BGMのない世界
少し、音楽の無い映画を想定してみましょう。
もともと音声がない無声映画は除きます。たとえば、タイタニックなどでもいいでしょう。
主題歌、劇中歌が無い以外は、映像や声、効果音などまったく同じクオリティ。
よろしくない事態が明るみになり、残された時間の中で船内は緊迫感が高まります。
最後は感動のクライマックス…となるのですが、恐らく感動の度合いは本来よりもずっと低いでしょう。
感情の波を目で見れるとしたら、ほとんど平行線の凪の状態ということもあり得るでしょう。
とはいえ、映画の中の世界でも実際はBGMなど存在しないはずです。
仮にも登場人物たちが、BGMを聞きながら鼻歌交じりで何かを喋ってるなんて設定はないでしょう。
実際我々の身の回りでは常日頃からBGMが流れているわけがありませんからね。
これが現実世界です。本来私たちが生きているのは、BGMのない世界です。
音楽なしでは成立しない娯楽
しかしながらBGMがつけられた本来の映画を見ると、好みはあれど私たちの感情を揺さぶり、涙さえ流させますね。
これは間違いなく音楽の為せる力といっても過言ではないのではないでしょうか。
映画を映画たらしめているのは、間違いなく音楽なのです。
音楽は単なる時間の流れを映画のような芸術に昇華するポテンシャルをもっている。
ラーメンにたとえるなら、映像その他の要素が麺と具、音楽はスープといった関係かもしれませんね。
麺と具だけでも美味いといえば美味いです。風味豊かな麺とトロトロのチャーシューなんかを合わせるだけでも十分。
実際お腹を満たしてくれるのも、これら固形物のお陰ですしね。
でも普通、ラーメン屋のアイデンティティを担うのはスープではないでしょうか。
お客が実際食べるのは麺や具で、スープは残すかもしれない。
でも、決してスープが不要なのではありません。むしろスープこそがラーメンの味を支配しています。
音楽はそんなスープの役割です。
どれだけ感情を揺さぶる映画も、音楽の力なくしてはただの映像の繋ぎ合わせに過ぎないのです。
私たちの思考や感情が音楽に大きく依存していると思うと、とても面白くないでしょうか。
恐怖さえ感じるほどです。悪用厳禁です。
要するに面白い
ということでだらだらと書きましたが、結局のところ感情に働きかけるということは、面白いということです。
この面白さは文章や論理をもってしても十分には説明できない領域かもしれませんね。
論理的思考が鍛えられる
説明できない面白さとともに、説明できる面白さも兼ね備えているのが芸術というものです。
音楽はルールだらけ
人間が自然と「美しい」と感じるものは、実は論理的な根拠つまりルールが存在するといわれています。
たとえば絵画の分野でいうところの黄金比のようなものですね。
音楽もその例に漏れず、大抵どんな種類の音楽にしても、音楽として成立するためにはルールが存在するといっても過言ではありません。
最低限のルールを押さえておかなければ、ただの雑音としか認識されないことだって普通にあり得るのが音楽という分野。
何せ空気の振動という自然現象をうまく機能させるのが、音楽という芸術ですからね。
自然現象には何者も逆らうことは不可能なのです。
そのようなルールうまくかみ合わず、雑音の域を超えなかった音楽が人にもたらす不快感は、実際のところ絵画のそれを遥かに凌駕します。
先に述べた通り、良くも悪くも音楽は私たちの感情に大きく影響しますからね(笑)。
成立する音楽と成立しない音楽
結局のところ述べた通り、いわば空気の振動を支配するのが音楽というわけです。
詳細に関しては別の記事で解説していきたいと思いますが、音楽について調べれば調べるほど、いくつかの科学的な分野に繋がっていくことが分かります。
その一つが物理学です。空気の振動について分析するということで容易に想像がつくかと思います。
またそれに近いですが、数学も関係してきます。
たとえば「オクターブ」という音楽用語をご存知でしょうか?いわゆる低い「ド」の音と高い「ド」の音の高さの関係です。
低いドの音は、高いドの音の半分の振動数という関係にあります。
要するに「オクターブでハモりたい」として、それを頭で理解するとすれば、
「一人はある一定の声を出して、もう一人はその倍の(または半分の)振動数の声を発する」
ということになるんですね。
ややこしいですか?この点も詳細はおいおい別の記事にて。
要するに成立する音楽には科学的な根拠があるということを知っておくと、
「あ、センスないけど音楽って楽しめるんだ~」と安堵できる方もおられるのかなと思います。
音楽を「身に付ける」と超楽しい
しかしながら音楽のルールを知っているかどうか、そしてそれを適切にアウトプットできるかどうかはかなり個人差が大きい。
というのも、才能や幼少期の環境により無意識に音楽を表現することができる人がいるかと思えば、
スタートが遅くても正しく学んで練習を積むことによって音楽を「身に付けた」人もいるからです。
もともと歌がうまい人、そうでない人を想像して頂けると分かりやすいですね。
これらは知識の差ではないんですよね。
音楽の細かなルールについて知らなかったり、譜面すら読めないにもかかわらずプロの演奏家として成功しているというケースもあります。
だからこそ筆者は、音楽は「身に付ける」ものなのではないかと考えています。
音楽を志している人は音楽という芸術を支配するルールについてしっかり学んで、それを自然にアウトプットできるまで練習する。
無意識にできている人は、その自分の能力を分析することでより適切にそれを発揮することができる相乗効果が期待できる。
「なんのこっちゃ」と思われる方もおられるとは思いますが(笑)…
身体が鍛えられる
少なくとももう一つ挙げておきたいのがこのポイントです。
音楽は身体能力を向上させることには一定の効果を発揮するのではないかと思っています。
そして身体を適切にコントロールすることは認知機能の低下を防ぐ効果もあるのではないかとも思っています。
科学的根拠をこの記事でご提示することはしませんが(笑)、「なんとなくそんな気がする」とは思いますよね。
たとえば筆者はピアノと歌唱とギター(仮)の経験があります。
ピアノは、指を適切に動かすという運動です。
求められるコントロールの精緻さはPCのタイピングの比ではありません。強弱を繊細にコントロールしながら表現するのです。
ギターも同様ですね。ほとんどの人は左手で素早く弦を押さえ、右手でピッキングします。
いずれの楽器も手首から先の繊細な領域の運動を見事にコントロールすることで音楽を表現します。
歌うことはどうでしょう?
横隔膜をコントロールするための腹部周辺の筋肉をうまく共同させて呼吸をコントロールします。
驚くべきは喉周辺と顔、特に口腔周辺の筋肉のコントロールです。
計測できないくらいのほんのちょっとした力加減が、表現に大きな差を生じさせるものです。
これらの音楽の演奏方法はどれも身体の運動を伴っていることにお気づきでしょうか。
例外はありますが、いい音楽を表現することと身体能力を磨くことには少なからぬ関連性があるのです。
ちょっと得した気分になると思いませんか?
楽しみ方は人それぞれ無限
この記事ではこの辺りにしておきたいと思いますが、
一口に「音楽の魅力」などと言うのもおこがましいほど、このテーマは奥が深いといっても過言ではありません。
少なくともこの記事を目にして頂いたことで、「へぇこんな角度もあるのね」という発見のきっかけになればこれほどうれしいことはありません。
それではまた次の記事で!
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